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ADVENTURE

ハクトウワシの集まる場所

キーナイ半島、ホーマーの町 2008.12

 

2008年12月。日本からアラスカへ移り住み、はじめての本格的な撮影になる。いままでの写真の勉強は、果たして実地で役に立つのだろうか、という不安があった。アラスカの写真家の間では誰もが知っている、ホーマーという町のハクトウワシの撮影。そこにはイーグルレディという愛称で呼ばれる、おばあさんが住んでいるという。

 

 

イーグルレディは町の先端の砂州の上に小屋を持ち、20年余ハクトウワシに餌をあげ続けている。この情報はアンカレッジの公共図書館にあった写真集から得た。写真集は2003年出版のものだったのだが、ネットで調べてみると、継続して餌やりをしているようだった。調べていくと、ひとつ心配事が見つかった。それは彼女の年齢が85歳だということ。加えて数年前、体にがんが発見され、急遽エサやりを休んでいるということ。今なお健康でいてもらいたいと願う。

 

ハクトウワシの情報を得たのは12月中旬。思い立ったときに計画を立て、自分の気分を盛り上げるということを僕はよくやる。その瞬間に打ち込まなければ、全体としていいものは仕上がらないことが多いからだ。さっそく撮影行の計画をたて、10日後に出発することにした。計画は、クリスマスの25日から6日間。はじめは「アウトドア天国のアラスカだから」とおもい、野宿を考えたが、今までの経験がない僕にとって、マイナス20度になる真冬のアラスカで、いきなりテントは危険すぎた。5泊のパック料金のある安宿を見つけ、予約した。

 

車を友達から借りて、雪が激しく吹雪く中、夜が明ける前に出発した。三たび道路脇に前輪を落としスタックしたが、毎度地元の方々に引き上げてもらった。雪道の中アンカレッジから走らせること8時間半、散々な思いをしながらも、なんとか到着することができた。砂州には、うわさの小屋があった。

 

宿に荷物をしまい込み、さっそく小屋の周辺を散策していると、10分もしないうちに、海岸を散歩中の人から声をかけられた。

 

「ジーンは毎日あさの11時ごろからエサやりを始めるよ。」

 

これを聞いたとき、僕はなんて運がいいんだろうとおもった。一番欲しい情報とともに、イーグルレディの健在が確認できた。宿に戻り、明日からの防寒対策をはじめる。ホッカイロの数を数えながら、現場へ足を運ぶことがいかに大事かということを実感していた。

 

手探りで部屋の明かりをつけ、ドアを開けた。この時期、朝の9時半はまだ暗い。空を見回すとどうやら快晴で雲はなく、一日もちそうだと思う。車のエンジンをかけ、軽く朝食をとってから小屋のある砂州へでかけた。途中、海岸沿いを走っていると、3羽のハクトウワシを確認した。その場で降りて、すぐにでも撮りたかったが、我慢した。エサやりを始める、その最初からその場に居たいという思いが勝っていた。

 

到着すると小屋の周辺には、このホーマーでは有名な「EAGLE  FEEDING  AREA」という看板が立っていた。そこには次のようなことが書かれている。

 

「外へでると、ワシたちが怖がって逃げていってしまうので、車からは出ないでください。」

 

どうしたものか。しかし、そういうわけにも行かない。遠く離れた駐車場から歩き、小屋の手前まで来た。そこにはゴム長に黒の雨合羽を身にまとった男性が、40センチほどのプラスチックコンテナを車から降ろしていた。

彼の名前はスティーブ・タローラ。イーグルレディであるジーン・キーンの手助けをしている。

 

「こっちに来て柵の中から撮ってみるか?」

 

小屋の敷地内に入ることで、エサやりをする彼の隣に位置づけることができ、いいアングルで撮影できる。派手なスノーボードのウェアに、スーパーで買えるSORELのスノーブーツという、僕の素人な姿が功を奏したのか、柵の中へ入れてもらえた。

 

コンテナが柵の近くに運ばれる10時半ごろには、すでに30羽ほどのハクトウワシが、エサをもらおうと小屋に集まっていた。ハクトウワシは、凍ったまま投げられた魚の切れ身をそのまま飲み込む。スティーブは、一カ所に集中して魚を投げるのではなく、まだ一切れも食べていない者に向かって投げている。

 

そのなかで、オートフォーカスの遅れを気にしながら、僕は夢中になって、飛んでいるハクトウワシをカメラで追った。

 

この日、旅の準備のときに考えておいた、自分の中での写真イメージのうち、二枚は撮れただろうか。このときメモリーカードを豊富には持っていなかったので、車に戻り、すべてカードのデータをパソコンに転送して、つぎの大量撮影に備えた。

 

 一日のエサやりが終わると、スティーブは魚を調達するために加工工場へ出かけた。僕はというと、その場に留まるハクトウワシを、ああでもないこうでもないと、ぶつぶつ独り言をいいながら、まだ撮影をしていた。すると急に、別の関係者の方がやってきて、突然怒られた。彼は剣幕な表情で、「なぜなかに入ってるんだ? ここは私有地だぞ」と顔を赤くして迫る。わけを話したが、「ばあさんがだめだと決めてるんだ」ということで、泣く泣く撮影を打ち切られてしまったのだった。この日はジーン本人が休みで会うことができず、次の日が心配だった・・・。
 結果から言えば、ひきつづき中から撮影することが許可された。二日目もスティーブは気前よく柵の中へいれてくれた。昨晩、なんとかもう一度、柵の中から撮影できないかと考え、クリスマスカードをジーンに渡したのが功を奏した。
 この日はジーンが直接エサやり。僕のクリスマスカードにご機嫌だと、あとでスティーブから聞いた。基本的に気を使われるのが嫌いらしい。そもそも彼女は若い頃、荒馬を乗り回していた。落馬して入院中の彼女の写真が新聞の一面を飾ったこともある。その写真のなかの彼女は満面の笑顔だった。
 彼女は現在、お世辞にも元気とはいえない。使命感と気力だけで、今まで続けた彼女の日課をこなしている。強い人だと思った。

この日、スティーブさんの自宅に夕食に招いてもらった。食事中、彼がふと、白い貝のような塊を手にとり、なんの骨だと思うかと僕にたずねた。それは大人の男性の握りこぶしよりもひと周り大きい。その骨が巻貝の形をしていたために、小さいころ磯で遊んだ記憶がよみがえった。実際に骨を耳に当ててみると、ほんとうに空気の繊細な流れが、内部の広い空間にこだましているのを聴いた。それでクジラの耳の骨と答えた。大海を幾度となく旅をしたザトウクジラの耳の骨。海の哺乳類にはいままで興味を持たなかったが、僕の頭のなかのアラスカ地図に、ザトウクジラの存在が描かれた。ほかにも、クイーンシャーロット島でのカヤックの話、アラスカ原住民の話など、興味は尽きなかった。

 

次の日からも小屋の敷地内に特別に入れてもらい、ハクトウワシの撮影に専念した。なんとしても鋭い目つきのハクトウワシのアップの写真と、細く長くのびるシャープな初列風切羽(しょれつかぜきりばね)が撮りたい。このとき、ホーマーは僕の意識の中で、すでに通い慣れた町になっていた。

 

 

準備段階で参考にした文献:THE EAGLE LADY, Bald Eagle: Their Life & Behavior in North America, Wikipedia “Bald eagle,”

撮影協力:Seteven Tarola, Jean Keene